知る人ぞ知る★★★三つ星!
プラボールが証明した性能!
日卓ファスタークG-1の高性能!
プラスチックボールが使われるようになって、改めてその性能が再確認されたラバーがある。それが、『ニッタクファスタークG-1』だ。今までにも多くのユーザーがあったのだがプラボールが使用されるにつれ、ここにきてファスタークG-1の、ボールのつかまり、グリップ後のボールの伸び、回転、スピードなどトップで活躍している選手からますます支持を得るようになった!
MADE in JAPANにこだわった職人たちのプライドの結集!
日本にしかないものを日本人の手で!
卓球メーカー【Nittaku】ニッタク
石川佳純選手が使用しているラケット,ラバーで有名なメーカーとして誰もが知っている【ニッタク】。しかしこのメーカーが、実は卓球のボールを造り続けて70年近くになる事を知っている人は、かなりの業界通と言える。卓球のボールはいろいろなメーカーが販売しているが、『MADEinJAPAN』は唯一【ニッタク】だけ!その性能は、国内外を問わず多くの選手が実感している。
これこそが本当の★★★三ツ星メーカー【Nittaku】の真の実力!
このたび満を持して、プラスチック44mm(ラージボール)と40mm硬球が発売された!
まさに日本人の技の結集が卓球界の新たな一頁を開くことになる!
★★★Mr.卓球 荻村 伊智朗氏のこと。
卓球界の偉人が書いた『卓球・勉強・卓球』
卓球が競技として盛んになり、メディアも多く放送してくれるようになった今、Mr.卓球と言われた故荻村伊智朗氏の功績を忘れてはならない。
高校生から卓球を始め、世界の頂点に立った、偉大な卓球選手のまさに自分史といえる本。
すでに廃刊になった200ページ余りの小さな文庫本『卓球・勉強・卓球』は、今読み返しても勇気をもらう事の出来る貴重な一冊だ!
同じく、荻村伊智朗著『笑いを忘れた日』(卓球王国)なら今でも手に入れることができます!
好きなことができる今の時代だからこそ、ぜひ読んでほしい一冊です。
★★★【ヤサカ】伝統ある卓球メーカー
ソフトラバーの元祖!
今では当たり前のように使われている【ソフトラバー】を一番最初に商品化し、当時の卓球界に衝撃を与えたメーカーと言えば《ヤサカ》なのだ。つまりヤサカ=ソフトラバーの伝説が始まったのである。
卓球用具は木べら、スポンジラバー、一枚ラバーなど様々な工夫がされてきたものの、研究に研究を重ねたヤサカが世に送り出した【ソフトラバー】は卓球界の大革命だった!その商品はオリジナルソフト(今も現役のラバー)だ。そして次に多くの選手を栄光に導いたのは、ヤサカマークファイブだ!
このメーカーは(ラバー)へのこだわりが尋常ではない。製品の仕上がりの完成度は高く、性能へのこだわりも相当なものだ。
数ある卓球メーカーの中、ヤサカがどれだけ伝統のあるメーカーかが理解できるのはその創業時期である。創設者の『矢尾板』氏のYAと『坂本』氏のSAKAの二人の名前を合体させて『YASAKA』が誕生した!1947年の事である。二人の若い卓球青年たちの船出が始まった。しかし、夢と希望に燃えていた二人に予期せぬ出来事が・・・
洞爺丸事故(1954年9月26日)が坂本氏の命を奪ってしまったのだ。残された矢尾板氏は故坂本氏の遺志を受け継ぎ、現在のヤサカに成長させていったのだ。今は2代目の矢尾板氏に受け継がれ卓球の一大メーカーになり現在も多くの選手をサポートしている。1993年イエテボリ大会チャンピオンのガシアン選手や、全日本8回優勝の小山ちれ選手の活躍は記憶に新しい。
★★★ダーカー(日本)
職人のこだわりに脱帽!
DARKER(ダーカー)のメーカー名は知っていても、その歴史を知る人は何人いるだろうか?
先代の社長さんは、もともとラケットを造る腕の立つ職人さんだった。納得のいくラケットを選手のために心をこめて作るのが信条の人だった。
まだ社長さんが現役で仕事をされていた頃、注文した商品がなかなか入ってこないので『一体いつになるのか?』と電話したところ『すみません。なかなか思うような木が(ラケットの素材)ないんですわ。』
と言われて、その頑固なまでのこだわりに思わず絶句した事を覚えている。
今の時代には、どこを探しても見つけられない位の素晴らしい職人さんだった。その精神は二代目のオーナーに引き継がれ、まさに卓球界の『三つ星』と言っても過言ではない!
しかもその名品で世界を制した日本人選手がいた事はつとに有名。